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 10月19日、8時少し過ぎに出発、今日もお腹一杯食べる。メニューも昨日とは少し違い、仕事で来ているらしい人の姿も見える。

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 出発の準備を終え港に出てみると、釣りをしている人がいたので何を釣っているのか聞いてみると、どうやらこの小魚(名前を聞いたのだが忘れてしまった)を使ってスズキを狙っているらしい。なかなかそう簡単には釣れないそうだ。
 今日のメインは城崎温泉だ。志賀直哉の「城崎にて」を読んで以来妙に印象に残っていて、ぜひ一度訪れたいと思っていた。そして城崎温泉を通って鳥取市まで行くのが本日の予定だ。
 京丹後までは順調に進む。後は標識のまま適当に進んでいったら、途中片側通行のような狭くて曲がりくねった厳しい山道になってびっくりした。標識通りなのにこんなところを通るのかよ。これだから本州の道は怖い。それでも来てしまったからには仕方がない。行くしかないと慎重に進むと漸く線路沿いの道に出て一安心。どうやらこの線路は城崎温泉まで行くのだ。後で調べると京都発のバリバリの山陰本線。こんな山奥まで本線が走っているのだ、だから志賀直哉も養生に訪れたのだろう。と思ったのは変な山道を通ってきたせいなのかもしれない。城崎の駅に近づくといかにも観光地というにぎやかな雰囲気。多くの観光客らしき人が行きかっている。
 ここでの一番の目的は志賀直哉も入っていたであろう城崎温泉の外湯に入ること。それから城崎文芸館に寄って志賀直哉の足取りをたどること。

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 10時50分、まずは車を駅横のパーキングにい入れて街を散策することにする。駅前はロータリーになっていて結構立派だ。土産屋の中をのぞきながら川に向かう。川の両岸がメインの通りになっている感じで、川岸の柳の木が垂れ下がってなびき、なかなか風情のある温泉街の光景だ。この川沿いに上流に向かって商店街が続きそれに沿って歩く。川沿いの道は緩やかな傾斜になっていて、かかっている橋も古風でなかなか趣深い。志賀直哉はこのどこでイモリに石を投げたのだろう。

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 大谿川沿いを上流に歩きながら、湯の里通りを通って外湯の様子を見る。一の湯はやっていたが、御所の湯は休み、まんだら湯は3時からとそれぞれ外湯にも違いがあるようだ。御所の湯はどうやら志賀直哉が入っていた湯のようで、休みだったのは残念だった。またあちらこちらにいかにも老舗旅館といった建物があるのも歴史を感じさせる。
 湯に入るのは後にしてまずは城崎文学館へ入る。こういう所にはあまり興味がないのか、自分以外誰もいなかった。やはりメインは志賀直哉だが麦藁細工の作品展示もあって美しかった。

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 帰りがけに受付の人に、「城崎にて」に出てくるイモリを殺してしまう場面の場所はどこか聞いてみると、ちゃんと場所が特定されていて教えてくれた。ただ結構距離があるので自転車か、車でないと大変とのこと。あとで車で行ってみようとまた街を散策。やはりなんとも風情ある街並みで、このような街並みをしっかり守ってきたのだろう。夜、明かりが灯ればさぞかし美しいだろうと想像された。

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 一通り街並みを見たので「一の湯」に入る。さすがにこの時間では混んでいなかった。湯がたっぷりと溢れ、湯舟が深いのにはびっくりした。露天に行くとニュージーランドの若者と観光客らしい日本人が話していたので、自分もニュージーランドに行ったことがあると拙い英語で話に加わる。クライストチャーチに泊まって釣りをしたというとホームタウンだという。大聖堂が地震で崩れて悲しかったという話をすると共感してくれた。その若者は釣りはしないがスキーはするというので、ニセコのパウダースノーのことを宣伝しておいた。旅行は20日間で10日目だという。それにしてもよく城崎温泉のことを知っていたものだと思う。
 まだまだ暖かいこの時期、さらに温泉で温められて少し汗ばむほど。街をぶらぶらしながら駅に向かう。途中土産物屋に寄ってホタルイカの干したのが売っていたので買う。このあたりでもホタルイカが取れるのか聞いてみると、富山は有名だが、水揚げはこのあたりが一番だとちょっと誇らしげに語った。あとは定番の炭酸せんべいも買う。実はこの炭酸せんべいなるものこの時までほとんど知識がなかった。

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 車に戻ってせっかくなのでなんとかイモリの場所を見てみたかった。温泉街を抜けて9号線を登っていくといかにも山深いというところに入ろうとするところで、志賀直哉ゆかりの桑の木の標識があり、確かにその木はあった。そしてその脇にいかにも小さくなった渓流が流れていた。あの文芸館の人の情報はしっかりしたものだった。ここで木の葉が揺れ、それから少し上流に上ってイモリを殺してしまったのだと思うと感慨深かった。

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 そのまま9号線を通って城崎を後にする。竹野まで出てあとは11号線の海岸線を行くことにする。あまり気にも留めていなかったのだが、なかなか入り組んで美しく穏やかな海岸線が続く。

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 このまま行こうと思ったらなぜか無料の山陰自動車道に入ってしまう。余部で高速を降りて道の駅に寄ってみる。これは後で中井精也さんの番組で知ったのだか、ここから見る鉄橋が鉄道ファンには人気で有名なのだという。ただ自分はその時なんの知識もなく、橋脚の余りで作ったから余部などという変わった地名の付け方だと思っただけだった。そのまままた海岸線を行けるかと思ったらなんとがけ崩れのため通行止め。再び山陰自動車道に戻る。そのまま9号線になり、鳥取市内に入って左折、53号線へ入って鳥取駅前に向かう。グーグルマップを見ながら道を確認しながら、同じところを何度もぐるぐる回りながらやっとホテルを見つける。グーグルマップがなかったらなかなか見つけられなかったと思うとやはり有難い。

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 自分が普段泊まっているところに比べると、いかにも都会的なしゃれたホテルだった。いかにもビジネスマンといった感じの客が多くて、そうした人を泊めるためのホテルといった感じで活気がある。部屋も広く立派だったが、そんなホテルが一番安かったというのは鳥取という地域によるのだろうか。
 夕食はローソンで買う。さすがにスーパーのような訳に行かず少し高上りなのは仕方がない。このホテルには大きな浴場もあり、夜食に小ラーメンが無料で食べられるというのもうれしいサービスだった。

# by kimamani-outdoor | 2024-02-07 16:25 | 街旅・山旅

 8月4日 7時45分 ダグラスが迎えに来る。髭をそっていたので一瞬誰だか分らなかった。同じトマトツアーなのだが、昨日会った彼女には別な人が案内していたので個々のツアー客に一人が案内に付くということなのだろう。
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この写真と下の二枚は以前の時のものです。

 バッドリリーズ釣具店に行くと、彼女と彼女の案内人らしき人が一緒に来たので挨拶する。彼女は28日くらいから来ているらしく、これまでイエローストーンリバー付近を釣っていたらしい。今日の自分のガイド、クリスが実は昨日彼女をガイドしていたらしい。

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 クリスはいろいろなオプションを用意していてくれたが、いざどこがいいと言われると困ってしまう。まごまごしているうちに、午前中はヘブゲンレイクでガルバーフィッシングをやり、午後からはイエローストン公園内を釣るということになった。
 公園内とモンタナ州の釣りライセンスを買い20数ドルかかった。トラベラーズチェックを1枚使う。ガルバーフィッシングはしばらくやっていなかったが好きな釣りなのでうれしかった。湖面の水生昆虫を次々に飲み込み(ガルプgulp)ながらライズしている鱒にフライをキャストして釣る釣りだ。ライズに静かにボートで近づきながらフライを湖面にキャストして、そのフライにライズが近づいてきて飲み込むかなと、ハラハラしながら待っているのが楽しいのである。阿寒湖のドライフライでのモンカゲロウの釣りと似たところがある。支笏湖でも六月鏡のような水面の時、これに倣ってカヌーでライズを狙い同じような釣りをしたことがある。なかなか大きいのは釣れなかったが。

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 クリスの住居らしきところからボートを車に繋いでヘブゲンレイクに向かう。クリスによると湖でのハッチは9時頃はトライコ、11時頃がキャリベイテスだそうだ。クリスはもともとロサンゼルスで商社マンのようなことをしていたが、ストレスが溜まってこのイエローストンでガイドをやっているという変わり種だ。珍しくこちらのことをあれこれ聞かない。これは個人的な印象だが、最初に来た頃は結構根掘り葉掘り、仕事やら、家のことをよく聞かれたが、どうもガイドもこうした転職組や離婚組の苦労人が増えてきて、他人のプライバシーにあまり触れなくなってきた感がある。いわゆるアメリカ的な幸せな暮らしというものが、時代とともに変化し少しづつ人々に辛い時代が訪れてきたように感じた。

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 湖岸に行く道路も初めてだ。以前青山さんにフローターで連れて行ってもらったのは対岸だった。他にもフロートチューブが一組、ボートが三組ほど来ていた。自分のロッドは四番だというと、少し軽すぎるということでクリスの用意していた六番を使わせてもらう。同じセージのSPだ。まだ今一つワクワクする気持ちが湧き上がらず、ボーとしている。なぜかわからず日本の延長のような、時差のせいだろうか。
 ボートでのガルバーフィッシングはフローターと違って移動するのは早いのだが、微妙な調整が難しいらしい。ライズに近づきすぎる気がする。またこちらも川と違ってライズが不規則に移動するので、どこにキャストすべきか迷いがある。それにしても鼻先を出してライズしながら動き回る様子は魅力的だ。
 途中風が出てきてライズが止まったので、ラインを全部出して毛ばりをキャリベイティスのニンフに切り替えトローリングとなった。すると眠たさに拍車がかかってうとうとしそうになる。まだ時差が抜けないのか、今日はこんな感じで一日が終わるのかなどとボーっと思っていると、再び風が落ち、少し暖かくなり湖面が鏡のようになってきたので、ドライフライに戻しチャレンジ。クリスは湖面のことをglassyだと言っていた。
 ライズに向けてキャストすると、ライズがやみ再びラインを打ち直そうと横を向いてラインを引っ張ると当たりがあった。いきなり湖底へ向かってラインを引っ張られる。どうやらよそ見をしているうちに毛ばりを食ったらしい。なんとも情けない当たりだが、当たりには違いない。喜んで巻き上げ無事キャッチ、クリスに写真を撮ってもらう。

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 次は運よくライズがやってきて、クリスが言った場所にキャストしたところ、ライズがそちらに向かい、見事フライを飲み込むのが見えた。今度こそとしっかり合わせると、瞬間1mほどジャンプして走る。するするとラインが出ていったが、うかつなことに自分がラインを踏んでいることに気が付かなかった。するとそこでラインがストップして、プツンとティペットが切れてしまった。今度の当たりはしっかり合わせられて、うれしかったのでぜひ取りたかった。
 その後も何回かチャンスはあったのだが、ライズが毛ばりから突然反転してしまったり、慌ててミスキャストしたり、いいところに毛ばりが落ちても無視されたりと、結局ヘブゲンでの当たりはこの二回だけだったが、初日でもあるし満足だった。

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 午後からはギャランティンリバーに入る。実はこの部分はボーズマンに向かう191号線の途中にあるのだが、実はイエローストン公園内で、ゲートを通らないのでイエローストン公園のライセンスを見せずには入れるのだが、当然だがここで釣るにはモンタナと公園の両方のライセンスが必要なわけだ。ところが最初来た頃はこのことを知らなかった。それでモンタナのライセンスだけで釣ろうとしたところ、パークレンジャーから公園のライセンスを見せろと言われて見せられなかったのである。危うく罰金を科せられそうになったが、まだ釣りをしていないと中学生並みのたどたどしい英語で弁解したのを、哀れな外国人だとでも思ってくれたのか、なんとか許してもらえたという苦い経験がある。後で地元の人に聞くと外国人だろうが何だろうが罰金を払うのは当然で、良く許してもらえたなぁと言われた。

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 さてそんなことがあった場所だというせいもあり、またギャランティンではこれまであまりいい釣りができなかったということもあり、あまり期待はしていなかった。そして再び眠気が襲ってきた。
 まずはカディスとメイフライのドロッパーで対岸のバンク際を狙うと書いて思わずあれっと思った。ドライフライ同士のドロッパーというのもあり得るのだと思ったのだ。ドロッパーは別にどういう組み合わせでもいいのだから、ドライフライ同士でもおかしくないのだがそんな発想はこれまでなかったのである。
 リーチキャストとメンディングで流すと、世辞であろうがクリスは何度もキャスティングをほめてくれた。しかしなかなか魚は出ず、途中から雨が降り出したのでニンフのドロッパーに替えるといきなり当たり、しかしすぐに外れてしまう。次の当たりはしっかり鉤掛りして喜んでいたらなんとホワイトフィッシュであった。

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この写真は以前のものです。

 ここでは日本のウグイ的な扱いを受ける魚であまり会いたくはなかった。何度釣れたのがこの魚であることがわかって、ガイドががっかりする姿を見たことか。クリスも魚になるべく触らないようにしてぞんざいに扱って鉤を外していた。今度こそと再びキャストするとまたしてもストライク、またホワイトフィッシュかと舐めていると、とても強い引きで走り出してのたまたしてもバレてしまった。そして再び釣ったのはホワイトフィッシュ。次第に雨が強くなって六時頃上がる。

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 正直言ってギャランティンは映画「リバーランズスルーイット」の美しいだけの川といった印象が強かったが、ニンフフィッシングで認識を新たにした。バレはしたがトラウトらしい魚の引きはマジソンリバーの鱒に引けを取らなかったように思う。
 多分帰りがけの車の中だろう、ゴールデンストーン(大きなストーンフライーカワゲラの一種)の話を聞いた。今イエローストーンリバーではゴールデンストーンがハッチしているとのこと。今年は遅れているとのこと。数は多くないがトラウトたちはゴールデンストーンのハッチを待っていてイージーフィッシングだという。これまでこの辺りでは小さなフライばかり使っていたので、一度そういう釣りを目にしてみたい。
 明日は一日マジソンの川下りと、ガルバー半日、マジソンのショートフロー半日とどちらがいいか聞かれたのでもちろん後者と答える。明日もガイドはクリスということで二日続けて同じガイドは初めてだ。今日のガイドぶりから、釣るコツというのを心得ているし知識も豊富だ。少し生活がすさんでいる感じもするが、その分余計なことを聞かないのもいい。ただ唾をしょっちゅう吐くのだけはやめて欲しいが。
 クリスと別れてまたスーパーマーケットに買い出し。トマト、牛乳、フランクフルト、キッチンペーパー、コーヒー、ポテトチップス、ツナ缶、レタスなどを買う。これでやっと自分でコーヒーを淹れられる。フィルターとドリッパーは持ってきていたのだ。ただビールのつまみになりそうなものはあまりないなぁ。
  本日の出費  ライセンス料二日分 26ドル ?
         買い物       30ドル
         チップ       30ドル

 ただチップについては後で気が付いたのだが、いつもガイド料は旅行費込みで旅行会社に払っていたので、時とともに最初のころより随分値上がりしていたのがわからなかった。チップはガイド料の1割から2割といわれていたので、これならちょっと少なすぎたと思われる。

# by kimamani-outdoor | 2024-01-23 16:26 | 思い出の釣り

 10月18日、
 7時一階のレストランで食事。値段の割に結構品数も豊富で、地物らしきものもありお腹一杯食べる。何より窓の前に広がる静かな舞鶴湾の景色が心を落ち着かせてくれる。参考のために日本海フェリーの乗り場を聞いたり、あまりの波の静けさに湖と勘違いするほどだというようなことを聞いたり、小魚があったのでままかりと思ったらイワシだったり。

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 8時出発。仕事で泊まっている人が多いらしく、昨日はたくさん止まっていた車はもうない。途中西舞鶴の街を通り、舞鶴には東と西の2つの湾がありそれぞれ2つに町が分かれているのを初めて知った。途中京丹後鉄道の鉄橋を見る。確か中井精也さんの番組で、まるで海の上を走っているような鉄橋だと言っていたものだ。こんな風に鉄道で行くのもいいなぁとまた思う。宮津の手前で給油、伊根までは1時間ほどだと教えてくれた。宮津を通ると突然にぎやかな街並み、言わずと知れた日本三景一つ天の橋立だ。正直あまりにメジャーすぎ行くべきか随分悩んでいた。そのため全く知識がなかった。しかし通り過ぎてから、やはりせっかくの通り道なのだから行ってみるべきかと引き返す。無人駐車場をやっと見つけて600円払って車を入れ、あの有名な股覗きの場所はどこだろうと探す。天橋立駅の案内板ではどうやらそこまでモノレールで上がるらしい。道案内に沿ってそこまで行くと結構な数の人がいて定員ごとに区切って乗ってくらしい。リフトもあるらしいが動いていなかった。850円を払って乗ると、どうやら二台が連結されているようだ。前の方に乗り、斜面に沿って高度を上げていくと、次第に宮津湾が見渡され、そこに一本の松の道が対岸まで伸びていて、思わずほうと思わされた。

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さすがに日本三景といわれるだけある。やはり来てよかった、やはり単に知識としてではなく実際の目で見る必要があると思った。尾岱沼の砂州なども近いだろうがそれを見下ろす場所がない。しかもこれほど松が豊かには生えていないだろう。やはりこれを見てしまうと実際に歩いてみたくなる。再びモノレールで戻って土産街を通って実際中を歩いてみると、もうあの上から見た砂州の姿は思い浮かばない。

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 また砂浜部分で釣りをしている人もいて長閑なものだった。ただ自転車に乗って対岸まで行こうとしている人もいたのでぜひ一度やってみたかったが、これ以上のんびりすると、もともとの目的地伊根に行くのが遅れてしまう。土産を少し買って11時半頃伊根に向かう。
 しばらく行くと天橋立の対岸の街に。こちらもたくさんの土産屋が道路沿いにあってにぎやかだ。しかしそこを過ぎてしばらく行くと、急にひっそりとした海岸線の狭い道になった。さらに行くと急に道の両側にたくさんの低い建物がびっしりと立ち並び、いよいよ伊根の街に入ったようだが、いったいどこが所謂よく旅番組で放送される場所がわからないままずるずると奥へ進む。

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 するとやっと街並みの切れ目から海に続く道があり、そこから湾沿いに公共の駐車場となっているらしくそこに車を止める。

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 そこから波止場に立って見ると、湾沿いにずらりと舟屋と呼ばれる建物が並んでいて、初めて伊根らしい景観に出会った気がした。当然だが道路側から見ていたら舟の入り口がわからず、ただの古い町並みとしか見えないのだ。そんな景色をみていると小さな観光船が出入りしているのに気が付いた。小さな漁船を観光用に改造したような船だ。料金も千円だし海から眺める伊根の舟屋もいいかと乗ってみることにした。乗客は7、8人といったところ。隣に座ったのは大阪から来た夫婦。北海道から来ている人がいるという夫婦の会話から、それは自分ですという所から話が弾んだ。天橋立に来たのは2回目だという、今年の阪神やオリックスのの活躍ぶりなど今年の大阪は話題に事欠かない。

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 船から見ると舟屋の様子がよくわかり、また船長さんのアナウンスも毎回同じことを言っているのだろうが楽しかった。舟屋という建物ができるには、波が静かであったり、潮の満ち引きが小さかったり、台風が来づらいなどの条件がそろっていたなどという話や、あそこの舟屋でなんとかいう映画の撮影があったなど。また最後に船からカモメに餌を投げる余興も楽しい。

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 カモメは船についてきて実にうまく空中で餌を銜えるものだ。湾を一周して降り際、夫婦の方が、丘の上に道の駅があり海鮮丼がうまかったし、眺めもいいので行くとよいと勧めてくれたので早速行ってみることにした。土産屋が閉まっていたのが残念だったがそこからは伊根湾が見渡せ、穏やかな海の様子が美しかった。

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 途中天橋立に寄り、伊根でものんびりしたので帰りは2時半過ぎになってしまった。十分楽しめたのでそれはそれでよいのだが、実はうまくいけば距離的には昨日通り過ぎただけだった彦根城に行けるのではと目論んでいたのだ。しかし舞鶴まで戻るともう3時半過ぎ、距離のわりに時間がかかると思うのは、まだまだ北海道感覚が抜けないのだ。結局彦根城は無理だと諦め、せめて小浜、熊川宿まではと思い向かう。
 小浜の街も見たかったが結局パスして4時半過ぎに熊川宿へ着いた。

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 もう暮れかかってはいたが暗くても舞鶴で迷う心配はもうないし、少しだけでも散策することにした。街並みはかなりよく保存されていて、妻籠や八尾の街に匹敵するくらい。そのわりに宣伝されていない?自分が知らないだけか?

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 店などはもう営業していなくてひっそりとしていて、また道の脇で水路が流れ落ちているのがなかなか趣深い。古川でも郡上八幡でも感じたが、ここは斜面になっているのでまた一味違う雰囲気だ。鯖寿司の看板がかつての鯖街道の名残を感じさせる。もう少し早く来て食べてみたかった。

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 すっかり癖くなり5時半頃舞鶴に向けて出発。舞鶴までの道が随分遠くに感じられた。

# by kimamani-outdoor | 2024-01-23 16:09 | 街旅・山旅

 前回のいい釣果でなんとかもうこの冬を乗り切るだけの豊かな心の貯金ができた。これからは例によってしばらくいつものアームチェアフィッシングに移ろうと思う。

 これくらい何度もイエローストンに行くことになると、さすがにいつの時のものか自分の記憶が混乱してくる。やはりそれをはっきりさせるためには記録が必要だということにこの頃やっと気が付いた。またそれまでは旅のしっぱなしということで一向に構わなかったのが、やはり自分の生きてきた証として記録しておきたいという欲求が湧いてきたらしい。ということでこの年からは日ごとのメモを残しているのでそれをもとに書きたいと思う。

 8月3日 
 この日は10時50分 全日空千歳発成田着 デルタ航空17時35分成田発となっている。
日記によると出発前「多少なぜかなぜわざわざ外国まで行かねばならないのかというような後悔の念が浮かんだが、昨年そうだったことを思い出した」とある。今回でイエローストーン行は通算8回目、それ以外の外国に釣りに行ったのを含めると12回目となる。これくらいルーティン化されると行きたいというより、いつのまにか行かねばならないというような義務的な気持になりつつあったのだろう。確かに英語も満足に話せず、いつも予想外のことが何事か起こってハラハラしてしまうのだから、そんなことを想像すると疲れてしまうのである。ただ出発してしまうと「そんな気持ちは吹っ飛んでしまう」とあるから一瞬だったのであろう。
 また直接成田に行くので、羽田からリムジンバスに乗って成田にいよりもずっと楽で良かったとも書いてある。また千歳で荷物を預けると入国審査のあるポートランドまで受け取らなくてもいいというのも。成田への直行便はまだ羽田から海外への便がなかった時代には有難かったのだ。
 空港では2時少し前に搭乗手続きを済ませてのんびり過ごす。この頃ではもうすっかり窓の外を見る興味はなくなり、もっぱらトイレに行くのに楽な廊下側の席ばかり取っている。時折飛行機に乗らないでこのままのんびりしたい、という衝動が付き上げてきて我ながら困惑気味だ。
 5時少し過ぎに無事搭乗。乗るとすぐに眠りこけてしまう。果たして離陸の時には起きていただろうか。
 夕食はチキンではなくビーフの方を頼みビールを2本飲む。確かまだこの時は無料だったはずだ。ほとんど機内で上映されている映画を見ることもなく、朝食には珍しくおにぎりを頼んだ。寝てばかりいたせいか随分到着か早く感じた。
 1日前に戻って3日、10時26分、ポートランド到着。17時間の時差があるので日本時間だと27時26分、まだ翌日の3時だが、結構寝られたのであまり時差は感じなかったのかも知れない。

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この写真は以前にも使いましたがこの時のものです。下の写真も同じ。

 荷物を受け取り、入国審査と税関も何事も聞かれることなくあっけなく終了。荷物を再び預けてソルトレーク行の便の搭乗口へ移動。このポートランド空港は何度か通っているが、静かで落ち着いていて、設備もきれいで自分の好きな空港だ。ここまで来るともうほとんど日本人はいず、いつもの不安感と、いよいよ釣りが手出来るという期待感が交錯する。もうここまでくるとすっかり旅の人間で日本のことなどはほぼ忘れている。

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 13時ソルトレークシティへ出発。ここもデルタ航空だ。いつも使っている航空会社でアッホームな感じがする。そのせいかはわからないが、またしても離陸もわからないほどぐっすりと寝込んでしまったようだ。こんなに寝てしまうと逆に夜寝られるのかと心配になる。機内ではちょっとしたお菓子が付き、飲み物はオレンジジュースを頼むが、ここまでくると自分の英語がうまく通じないようだ。
 15時45分ソルトレークシティ着。といっても時差が1時間あるので実際の飛行時間は2時間弱といったところだ。2002年に冬季オリンピックが開かれているが、まだこの時点では準備段階という所だろう。飛行機から見下ろすと砂漠の中の全体的にくすんだ感じの街で、ソルトレイクという通り塩分を含んでいるであろう湖が見降ろされるが、その時は曇り空であまり美しさは感じられず、住みたいという気持ちにさせない。しかしここはアメリカの様々な国内線の中継路となっているのが不思議だ。
 次のウエスとイエローストーン行の便はゲートE6、スカイウェストのプロペラ機。20人乗りほどの小さな飛行機なので乱気流に飲み込まれると怖い。

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 そのゲートからは次々に飛行機が飛び立つのでアナウンスを聞き漏らすと大変だ。無事アナウンスが聞き取れ飛行機まで歩いて向かう。しかし乗ってからがなかなか出発しない。何かトラブルのようだがよくわからない。こうしたことはよくあるようで、アメリカ人にとって日本でいうとバス感覚なのだ。ただ眠たいのであまり気にならない。夢見心地の中でまだ出発しないなとぼんやり思っているだけだ。するとエンジンの音が高まりやっと出発のようだ。いつも無事飛び立ってくれと願う。
 搭乗時パックロッドを持った日本人がいたのに気づいていたので、気になって機会を見つけて話しかけてみたいと思った。ここまで来て日本人に会うのはうれしいものだ。しかも同じ釣り人なのだ。なぜ日本人と分かったかというと伊藤園のお茶を持っていたからだ。東洋人だとはわかっても、なかなか日本人かどうかを見分けるのが難しい。
 飛行機が安定高度に達してほっとするとスチュワーデスさんが回って来て飲み物の注文を聞く。このころはまだCAさんといういい方は一般的ではなかった。コーヒーを頼んだが正直もう飲み物はいらない感じだった。レーズンと乾燥したバナナのスナックはおいしかった。隣では赤んぼう連れの母親がいて、飛び上がるときに時に歓声を上げる子供をたしなめている。しばらくして降下し始めると遠くでは電が光ってまた揺れが戻って緊張する。しかし揺れるたびに子供がとても楽しそうに声を上げるので、なんだか緊張がほぐれてこちらまで楽しくなる。考えてみると飛び立ったことはあったが、直接ウェストイエローストンから入るのは初めてだった。到着は予定時刻の17時49分をかなり過ぎて18時半をまわっていた。1時間ほどの遅れだったが空港ではダグラスという物腰の優しい30前後の男性が迎えに来ていた。日本語が良く通じるので安心した。車はチェロキーに乗って来ていた。たぶん荷物を受け取るまでの間であろう、例の日本人と少し話ができた。マジソンモーテルという所に泊まり5泊6日の短い旅だと言っていた。かなり旅慣れた感じでこちらの情報にも詳しい感じだった。またお互いに情報を交換しようと言って別れる。街までの車の中でダグラスと話したところ、ダグラスも釣りを少しやるらしい。フライフィッシングは面白いと言っていたがまだ初めて間もないようだった。荷物が2度ほど届かなかったことがあると言っていたが、自分の場合これまでそんなことは一度もないのでラッキーだったというべきか。

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この写真は2006年のもの

 ウエストイエローストンの街に入ると例によってウエストウッドモーテルに着く。なんといってもここはキッチンが付いているのがいいのだ。釣りから遅くに帰って来て外に食べに行く元気などないのだ。部屋は昨年とは隣の4号室だった。
 中に入ってガス代の点け方を聞くとダグラスもわからないということだった。ガスのキッチンはアメリカではあまりないらしい。モーテルの受付の人が何回か説明に来てくれ、なんとか2つのうち一つは無事使えるらしい。

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この写真は2002年のもの

 荷物を整理してスーパーへ買い出し。牛乳、ビール、油、トマト、ハンバーガー用のパン、ポテトチップス、ベーコン、卵、サラダ、ビーフを買う。しめて16ドル1セント。(当時の円相場は一ドル120円ほどなので、2,000円弱という所だが、今の為替レートで物価も上がっているということなので、3,000ほどにもなっているだろうか。)再び空港で話した日本人と会う。明日はヘンリーズフォークに行くそうだ。金曜(8月6日)にはガイドと釣りをするらしい。馴染みのガイドがいるそうだ。すごい!ヘンリーズフォークは晴天続きであまり良くない、明日は雨だと言っていた。ガイドとの釣りは自分と同じく自由にならないので好きではないとのことだった。まだお互い少し警戒しあっている感じだった。神奈川から来ているとのことだった。

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この写真は2002年のもの

 買い物をしていると女の人に呼び止められた。日本語だった。釣りに来たのかという。彼女もそうだという。よく聞くと同じトマトツアーでモーテルも同じ、今日はフライフィッシングの講習を受けて、ギャランティンで大物を逃がしたと言っていた。明日はたぶんマジソンをボートで釣るだろうと言っていた。明後日以降日本の有名なフライフィシャーマンが来るらしい。その人と一緒に釣って8月10日に帰るという。ほとんど自分と1日違いの日程で、こちらの名前まで知っていたのには驚いた。まだ若い一見弱弱しい感じだが、向こうから話しかけられるなんて初めてだ。
 モーテルに戻ってパンにトマトとサラダを挟んで食べる。ビールを飲んで明日はガイドとの釣りなのでアラームを5時にセットして寝る。途中一度起きただけでずっと寝てしまった。こんなことは一度もなかった。どんなに疲れていてもなかなか眠ることができないというのがいつものことなのに。年齢のせいか、順応したのか。

# by kimamani-outdoor | 2024-01-15 16:14 | 思い出の釣り

初めて関西以西の旅へ2

 17日続き この日はよほどゆとりがなかったのか船を降りてからの写真は無しでした。文字ばかりですみません。

 ほぼ頭の中では行く順路が決定。まずは23号線に出て海岸線を西に走り、途中から内陸に入り、桑名、大垣を通って琵琶湖岸を南下、琵琶湖大橋を通って、鯖街道を北上して小浜、舞鶴に至るという予定だ。
 さていよいよ車に乗って下船の準備完了。いつでも出発できる。初めての名古屋フェリーターミナルなので少し緊張する。実際に降りる時には新日本海フェリーより斜面が短く少ない距離で降りられ少し気ぬけけした。辺りの景色を確認しながら周辺地図で帰りに迷わぬよう進むが、結局地図の距離感と現実の距離感がうまくかみ合わず、いつもどこまで来たかわからなくなる。明確な目標物があればまだ何とかなるのだが、運転中だとそれを確認するのもなかなか難しい。やはりここれからはナビが必要かなと毎度のことだが思ってしまう。
 まずは海岸近くを東西に走る23号線に入ることだ。標識があったのでその通り進むと大きな道路に出た。ここが23号線だろうか。不安になったのでコンビニで聞いてみると、この通りを進むと23号線に合流するという。ほっとするとともにやはりどんなに地図で見ていても、やはりいちいち聞いて確認しなければならない苦労で先が思いやられた。
 しばらく行くとやっと、左折すると23号線の標識を見て一安心。しかしいざ合流するとさすがに幹線道路、3車線で大きなトラックが次々に走ってきて冷や冷やする。しかもやたらと橋があって河口付近のため長い。庄内川から木曽川、揖斐川という名だたる川の河口が次々に現れる。木曽川は春に中央線で木曽路を通った時に出会っている。それがこんな河口付近で再び出会うとは。これは大雨が出ればいかにも増水で苦労しそうだという雰囲気が漂っている。そんな河口をやっと抜け右折して桑名へ向かう一車線の道へ入ってほっとする。けれど今度はこの道は本当に桑名に続いているのか?と不安になる。いつも車で本州の旅に来るたびに大嫌いなナビの必要性を痛感させられる。それでもなんとか桑名を過ぎ今度は大垣に向かう。大垣もやはり春に中央線で通った。大垣の周辺はこんな感じだったのかと、少しずつだが頭の中で各町が実感としてつながり始める。前回の電車での旅では大垣で一度降り、芭蕉の足跡を確認しようと思ったのだが。順調には来たのだが今回もやはり結構時間がかかって立ち寄る余裕はなさそうだ。関ケ原から米原へ。二か所とも中央線でも通ったが、関ケ原の山に囲まれながらもその広々とした景色に、いかにもここならと関ケ原の戦いが想起させる雰囲気だったが、今回改めて車で通ってなおその感を深くした。ここも今は兵どもの夢のあとだが、一度ゆっくり歩いてみたいものだ。米原はもうヨネハラと読むことはなかった。少しは経験を積んだのだ。
 途中彦根城付近を通る。湖岸の城ということで珍しく感じ、また観光客もかなり歩いていて結構趣深い城だったので寄ってみたかったが、とにかく今日はなんとか舞鶴のホテルまで着くのが先決だということで先を急ぐ。なんとか湖岸の道路を気持ちよく走りたかったのだが、なかなかそこまでたどり着けず、どこを走っているかわからない。今度こそと思うたびに次第に道は湖岸から離れていく。確か以前通った記憶があるのだが。と思いつつ近江八幡へ。ここも古い建物が残っているはずなので寄りたかったのだが、なんとか日没までにはホテルに着きたい。この旅のどこかでもう一度来ることができるだろうと遠めに見て通り過ぎる。次の目標が琵琶湖大橋。湖をぐるっと回るよりはかなりのショートカット。それに一度渡ってみたかったのだ。しかしいつまでたっても標識は現れず、たまたま通っていた保育園の引率の先生らしい人がいたので聞くと次の角を右折だという。全く自分がどこまで来ているのかわからず危うく通り過ぎるところだった。とりあえずホッと胸をなでおろす。しかし今度はETCレーンと現金レーンに分かれて無事現金レーンに入れてよかった。間違ってETCレーンに入ったら後続車がいるので引き返すこともできない。現金レーンは料金箱でもあるのかと思ったら人が受付していた。果たして一回百円でこの人の人件費分の売り上げがあるのだろうか。
 結局琵琶湖大橋も随分長い橋だという程度の感想で渡り終え、367号線を北上。161でも良かったし敦賀から入るという手もあったのだが、やはりこのかつて鯖街道と呼ばれた367号線を一度通ってみたかったのだ。しかしそれにしても周囲は森で車通りも少なく細く曲がりくねって物寂しく、いかにも鯖街道といっていい雰囲気になってきた。こんなに舗装になっていてもこの感じなのだから、未舗装の山道であったのならここを通って行くのは大変であったろうと当時の行商人たちの苦労が偲ばれた。ここがやがてあの大原につながっていくのだろう。ちょっと怖かったのは道路の脇の側溝だ。北海道ならほとんど蓋が付けられ間違ってその上を走っても大丈夫なのだが、こちらはむき出しなので運転を誤れはタイヤが溝にはまってしまうだろう。特に冬季には路面が凍って滑ったりすればどうなのかと、凍結路面にいつもハラハラさせられる北海道民としては少し心配になった。
 ようやく険しい峠らしき道が終わりゆるやかな下りに入ると、何やら古そうな町並みが見える。どうやらここも江戸時代の宿場の跡らしく、熊川宿という表示があった。こんなところに宿場町があるなんて全く知らず、そんな情報もなかった。さっと見て趣の在りそうな街並みだと思ったが、何分もう夕闇が迫っていた。また来ることがあるだろうかと少し後ろ髪を引かれながら小浜、舞鶴に向かう。ここからは一本道だから迷うことはなさそうだがもう舞鶴に着く頃はすっかり闇に包まれていることだろう。果たして知らぬ街でホテルにたどり着けるだろうか。
 6時を過ぎ、漸く舞鶴らしき町明かりが見えてきたので右折して港の方に向かう。ここでグーグルマップを開いてホテルの位置と自分の現在位置を確認。ホテルの位置に近づくように自分の車を移動するとあっさりホテルを発見することができた。すっかりスマホという文明の利器を頼ってしまったが、やはり有難いものだと実感する。そんなにナビも忌避すべき存在でもないのだろう。チェックイン終了後部屋に荷物を置いて買い出し。暗い道を歩いているとコンビニも見つけられたが、スーパーもあってそちらで晩飯と酒の買い出し。ホテルの位置もおおよそ見当がついた。ふーこれでなんとか一息つける。


# by kimamani-outdoor | 2024-01-15 16:13 | 街旅