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根釧の原野で (二)  イトウを求めて 1985~

 Мさんからいただいたものはルアーフィッシングの他にもあった。それはМさんが傾倒していた開高健氏の著作である。自分もその釣りに関する文章から、それ以外の戦争ルポや小説にまで読み漁った。特に釣りに関しては開高さんの文章は他の釣り人の書いた文章とは全く違っていた。自分ごときが開高さんについて語るのは僭越だが、大体の釣り人の文章はその時の釣りの状況や釣り上げた時の技術に終始しているのに対して、開高さんの文章はその釣りに対する知識や蘊蓄が優れているのは勿論であったが、その釣りの背景に関する興味や関心が図抜けているのである。釣り場の風土や文化、人の暮らし、釣り人の生きざまなど、釣り以外の部分こそが生き生きとユーモラスに語られる。このような釣りの文章は自分は寡聞にして他には知らない。わずかにCSの釣り番組での「フィッシングカフェ」がその方向に近づけようとしているということが窺がえるくらいだ。
 開高氏編著「雨の日の釣師のために」の中の好きな言葉に「アームチェアーフィッシング」なるものがあり、雨の日、釣り人が家の中で椅子に座りながら、釣りをするのを想像する楽しみを言った言葉だ。確かに釣り人にとって実際の釣りができないのはとても辛いことであるが、そんな時様々な釣りの文学を読むことで想像を膨らませるのもまた楽しいことだというのである。自分もまたそれに倣って、雪に閉じ込まれて釣りができない時は過去の釣りの思い出を多少膨らませてみたく思った次第である。

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 開高さんの釣りの著作といえば、まず何といっても誰もが「フィッシュオン」を思い浮かべるだろう。世界各地でその土地の大魚(小魚?)を釣り上げようという企画なのだが、釣りそのものよりもその中の人や自然との出会いがなんとも楽しい。
 ただその時の自分にとっては世界の釣りなど夢のまた夢で、せいぜい銀山湖の話を身近に感じることができたくらいである。それに対して「私の釣魚大全」はもう少し身近な日本での釣りの文章が綴られている。

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 アイザックウォールトン卿に対抗したのかどうかは知らないが「みみず」の話から始まっている。その中でも一番心惹かれたのは「根釧原野で<幻の魚>を二匹釣ること」という章である。釧路の画家でイトウ釣りでも有名な佐々木栄松さんとの幻のイトウを求めて釧路川を釣る旅。まずはアイヌの幻のイトウ伝説から始まり、ゲン担ぎにヘアートニックを持っていく話、釣り船の船頭、中野さんが岸に打ち上げられたクジラを見つけた話。大金をあてにして喜んで前祝いの酒盛りをしていたら、結局クジラは腐っていてものにならなかったという戦後の無頼の生き方を感じさせるエピソード。そしてこの章の最後、75センチのイトウと格闘する時の描写。そしてその後の感慨。「完璧な、どこにも傷のない、稀な日」という言葉ほど、いい魚が釣れた時の釣り人の満足感を表わし得た言葉は他にはないのではなかろうか。
 とまた前置きが長くなってしまったが、この文章に感化されたのか、自分もまたこの道東の地にいるからには、なんとか幻のイトウという魚に出会ってみたい、と思うようになったのである。その頃はまだルアーフィッシングおろか餌釣りもほとんど初心者の状態、開高さんや常見正さんの本を読んだりして見よう見まねで、あるいは釣具屋に行って店主に聞いたり、そうした多少誇張された蘊蓄を聞くのも大好きでもあった。その釣具屋にはメーターオーバーのイトウの魚拓が飾ってあった。
 釣れても釣れなくても未知の川で新しい釣り方で釣る釣りは、とてもワクワクとした期待で満ちていたように思う。
 自分がイトウを求めて釣り歩いたのは主に風連川であった。釧路川ほどではないがこの辺りでは一番大きく、湿原らしい蛇行を繰り返している原始の趣を漂わせている川だった。時折河口付近では漁師のかけた網にメーターオーバーのイトウがかかるそんな噂もあった。春間近になると結氷した川面が水量が増えて来るのか次第に盛り上がって黄色味を帯びて来る。そしてある日その氷が割れ、一気に水があふれだして川岸を越え周囲を潤していく。そんな解氷期を心待ちにしていた。
 解氷してしばらくすると水位も落ち着いて澄んだ赤茶色になると、待ちかねた多くの釣り人が川岸を歩きながらイトウやアメマスを狙う。

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1990.4.15  風連橋上流

 川岸には葦を踏み分けた釣り人の道ができる。対岸のえぐれた深みや、倒木の横をルアーが横切っていくのを想像しながらリールを巻いて、突然魚が襲い掛かって来るのを待つ。たぶんルアーの引き方も攻め方もまだまだ未熟だったと思う。期待ばかり先行して釣果は芳しくなかったように思う。しかし若くてエネルギーだけはあったのか釣れなくても、次の場所でこそ釣れるかもしれないという期待からどこまでも釣り歩いた。釣果は釣り歩いた距離で稼ぐそんな時代だった。


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1990.5.21 風連橋上流

 橋からは勿論だが、地図を見ながら川のどの部分が道から近いかを見て、入りやすそうな場所を探す。大抵はそういう場所は牧柵をくぐって牧草地を横切ることになり、牛たちに一斉に睨まれたりする。本来は牧場の持ち主に断って入ればいいのだが、黙って横切ったことがほとんで申し訳なく思う。ほとんどは電気柵で触れて感電しないように腹ばいになってくぐり抜ける。中にはこの柵をペンチで切っていくひどい釣り人がもいた。だから勢い牧場主の中には釣り人を敵視するようになる人も出るのも当然だ。
 そんな風にイトウを狙い続けていたが、なかなかそう簡単に釣れるわけはなかった。当時でもこの根釧の地でもイトウは既に幻になりかけていたのだろうし、またまだまだルアーでの釣りは未熟なせいもあったのだろう、釣る魚よりも失うルアーの方が多かったと記憶している。その頃のルアーといえばアブ社のトピーやらダーデブル、クロコダイルだったか、やらが憧れではあったが、普段使っていたのはもっと安価なクルセーダーとかチヌークといったスプーンが中心で、プラグなど高価で手が出なかった。それを時には失うことを覚悟で、倒木の下あたりに思い切りよく引いていく。
 そんな時Мさんと風連川に一緒に釣りに行くことになった。まだ道東の遅い春、草木もそれほど芽生えていない頃であった。もちろんお互いにイトウを狙いにはいくのだが、それまでのことがあるだけにもちろんそれほど期待はしていない。いいアメマスでも釣れれば御の字の気持ちだった。場所はどこから入ったのかは忘れてしまったが、例によって風連橋のさらに上流部分の、道路から近いところを牧場を横切って入ったのだと思う。

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イトウを釣り上げたポイント付近 時期は上の写真と同じ頃か、もう少し後

 いつものように川にたどり着くと、Мさんが先行して釣り上り、自分はその後を追うように釣っていった。釣り初めてそれほどはかからなかっただろう。Мさんに追いつくと、また煙草をふかしながら座り込んでいる。どうしたんだと聞くと、煙をフーと吐き出して今度は「釣れたー」と言ってМさん何か魂が抜けたように呆然としている。「えっ、まさか、本当に」というのが最初の気持ちだった。そして次に「羨ましい」。もしМさんが自分より釣り歴が短かったら「悔しい」、やら「妬ましい」という気持ちもあったかもしれない。ストリンガーに繋がれたイトウを見ると47センチくらいか、イトウとしては大きいとはいえなかったが、初めて見るその姿は美しかった。Мさんは十分満足した様子で、もう今日は釣りはこれでいい、といったような風情を漂わせていた。
 俄然自分は、無性になんとか自分も釣りたいという焦りにも似た気持ちに襲われた。「もう少し行ってみる」と言って、もう動こうとしないМさんを置いて先を急いだ。とにかく自分もなんとか釣るのだという気持ちに突き動かされていた。それからどれくらたったのかは覚えていない。自分の歩いている側の土手が深くえぐれて流れが淀んでいるのが見えた。その場所の少し上流まで静かに回り込みながら、そのポイントの対岸の少し上流にルアーを投げて流れに乗せながら、こちら側のそのえぐれた淀みを通すように引いた。
 いったいどんな風に出たのかは覚えていないが、そのイトウはルアーに出てくれた。大きさを計ると54センチ程。よくぞ自分にも釣れてくれました。喜び勇んで魚をネットに入れてМさんのところに駆け戻った。Мさんは相変わらずその場所にいたが、そのイトウを見るとさすがに驚いたようだった。あれほど釣れなかったイトウが1日に二本も釣れたのだから。

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これは後にフライで揚げたもの 40半ば 時期は上の写真と同じ頃か

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上に同じ

 大きさから考えると心苦しくはあったが、その二本のイトウは記念として持ち帰らせてもらうことにした。釣具屋に持ち込んでそれぞれはく製にしてもらった。
 それ以降はフライ竿でシンキングラインを引きながら風連川を狙うことが多くなったが、まだまだ未熟なせいもあり、また振れる場所も限られたせいか、十分攻めきれたという感じはない。結局それ以上の大きさのイトウを釣り上げることはできなかった。
 そのはく製は釣ったルアーとともに今でも大切に飾ってある。ルアーは赤金18グラムのクルセーダーだった。そのルアーにはイトウの噛み跡なのか3点ほど塗装の禿げた部分が残っている。

by kimamani-outdoor | 2016-12-17 12:00 | 思い出の釣り